2013年11月23日土曜日

笑顔


今まで、あのような娘の笑顔を見たことがなかったような気がします。
11月3日に長女が結婚しました。

その日は ずっと笑顔でいっぱいでした。
幸せな気持ちがそうさせたのでしょうね。
娘の幸せな笑顔を見るのは親としてもうれしいことです。

皆さんから寂しくなりますねとか・・・
父親としてどんな気持ちですかとか
いろいろ聞かれるのですが 答えに困ります。

準備の時も 当日も 本番もただ淡々と時間を消化していくだけ・・・
何となく触れてしまうと一度に崩れそうな自分を知っているから
ただ目の前の笑顔だけを素直に喜びたいと思います。

結婚おめでとう





2013年10月16日水曜日

目に見えるもの


箱根を旅行してきました。

まだ仙石原のススキは穂がでていたものの細い葉は緑のままでした。
あいにくの雨模様でしたので、ススキの穂は濡れてひとつにまとまり
観光客も足早に去って行きます。

小雨でしたのでススキの原の遠方に見える山並みは、水色の重なりを見せて
霧も立ち込め、日本画を観るようでわくわくする時の流れでした。
ふと足元を見ると秋の草花が小雨に濡れて咲き乱れ、素朴な輝きを見せています。

狩野派の秋草の図を見るようで夢中でシャッターを切りますが
残念ながら写真は無機質ですので、すべてを無条件に映し込んでしまいます。

人が意思を持って見たときには、感動したものしか見えません。
絵画は、その感動を写し取ったものですから余計なものは描かれません。
ススキの穂先だけでも充分表現できます。

目に見えるものが大切とは限らないのですね。


2013年9月29日日曜日

奈良・京都の旅(12)


天龍寺 精進料理店「篩月(しげつ)」

奈良・京都の旅も今回で最後となりました。
最後は、天龍寺の精進料理。
食「駅弁」に始まり食「精進料理」に終わる旅でした。

全く異なる趣のある奈良と京都・・・
ますます好きになりました
古(いにしえ)のおおらかさの残る奈良
どこまでも洗練され、一方で歴史の緊張感が未だに残る京都


それぞれの寺院や仏様を安置した人々の願いに思いをはせると
とてつもなく広大な歴史の流れが身近に感じられます。
それはきっと時代を超えて現代の人々の願いに通じるものが
あるからだと思います。

四季折々の季節に
皆さんも奈良・京都を訪れてはいかがでしょうか

旅の最後に
食することのありがたさを学びました。
箸袋の内側に書かれていた「食事五観之文」です。

一ツには功の多少を計り彼の来處を量る
二ツには己が徳行の全闕を計って供に應ず
三ツには心を防ぎ過貪等を離るるを宗とす
四ツには正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが爲なり
五ツには道業を成ぜんが爲に當に此の食を受くべし

御馳走様でした。

そして今回の旅 すべて 御馳走様でした。
ありがたく頂戴させていただきました。

2013年9月26日木曜日

奈良・京都の旅(11)


渡月橋(嵐山)

京都に住む人々にとって、夏の嵐山は避暑地的な場所だったのでしょうね。
寺院や住居でひしめく市内を離れ嵐山に来ると、天井が抜けたような解放感が
感じられます。

視野の中に飛び込むのは、嵐山の自然のみ
その解放感を演出するのが桂川に架かる渡月橋。

この橋から見る満月は、きっときれいな月だったことでしょう

2013年9月13日金曜日

奈良・京都の旅(10)


広隆寺

今回の旅でどうしてもお目にかかりたかった広隆寺の弥勒菩薩。
木造ですので保存のために霊宝殿に安置されていますので
ちょっと違和感がありますが、手を合わせてきました。
礼拝する場所は、少し前にせり出していますので、両脇に移動すると
ご本尊にさらに近づくことができます。
角度が違うと表情も変わります。

ずっとその場にいたい安らかさが感じられます。

2013年9月2日月曜日

奈良・京都の旅(9)


同志社大学

旅行先で宿泊した時は、朝早く起きて散歩にでます。
京都の二条城近くに宿をとりましたので、近くを散策しました。

何か今でも重苦しい記憶が甦ってきそうな蛤御門
旧薩摩藩にも足を伸ばしました
この道を藩士たちは緊迫した足取りで駆け抜けたのでしょうね・・・
そしてすぐ隣が同志社大学のキャンバス

京都は奈良と違って何か緊迫感が漂っているような気がします。
熾烈な争いが続いたその記憶を街並みは語ってくれます。
霊魂を鎮めるためにお寺がたくさんあるのかなと考えてしまいます。


2013年8月14日水曜日

奈良・京都の旅(8)


法隆寺

1400年以上前の木造建築が残り、しかも安置された仏様が今も人の心を打つというのは
素晴らしいことだと思います。

でもこれは奇跡ではなく必然のような気がします。

法隆寺は意外に こじんまりとしています。
敷地もそうですが建物の大きさも写真のイメージとは異なり大きくはないです。
もちろん当時の建築技術が大きな伽藍を造営できるほど発達していなかったのだと
思いますが、実はこの大きさが1400年も残る絶妙の大きさだったような気がします。
そしてこの土地の気候や風土。

もちろん専門家ではありませんので、そんな気がするだけですが

これから先の未来も同じように生き続けるのでしょうね
もしかしたら、当時の人は、遠い将来保存するための仕組みができることまで
予想していたのでしょうか
永久に残ることを信じて
そして人々の信仰が永遠に続くことを信じて・・・