2013年8月14日水曜日

奈良・京都の旅(8)


法隆寺

1400年以上前の木造建築が残り、しかも安置された仏様が今も人の心を打つというのは
素晴らしいことだと思います。

でもこれは奇跡ではなく必然のような気がします。

法隆寺は意外に こじんまりとしています。
敷地もそうですが建物の大きさも写真のイメージとは異なり大きくはないです。
もちろん当時の建築技術が大きな伽藍を造営できるほど発達していなかったのだと
思いますが、実はこの大きさが1400年も残る絶妙の大きさだったような気がします。
そしてこの土地の気候や風土。

もちろん専門家ではありませんので、そんな気がするだけですが

これから先の未来も同じように生き続けるのでしょうね
もしかしたら、当時の人は、遠い将来保存するための仕組みができることまで
予想していたのでしょうか
永久に残ることを信じて
そして人々の信仰が永遠に続くことを信じて・・・


2013年8月4日日曜日

奈良・京都の旅(7)


中宮寺

憧れの弥勒菩薩をお参りしてきました。
この時代の仏像はとても不思議な気がします。

仏像というと阿弥陀如来に代表されるようなどっしりとした
安定感のある生身の人間とは違う姿を思い浮かべますが
阿修羅像にしても、広隆寺の弥勒菩薩にしても生きた人間を
そのまま映し込んだ姿が印象的です。

お堂にあがってとても身近に手を合わせることができます。
座る位置を変えると微妙に印象が変わって何時間でも
その場にいたい雰囲気があります。

なぜ、このような姿を作らせたのか、仏師はなぜこのような
仏像を彫り込んだのか不思議な感じです。
何を表現したかったのか・・・

時代とともに人々の求める仏教感は異なるのでしょうね
この時代特有の表現にこころ惹かれます。

身近にいそうでいない姿に、微妙な距離感があって
もしかしたら、それがこの時代の仏様だったのかもしれませんね
仏のこころはすぐ身近にあるということでしょうか・・・